バビロンへの出発
1973年、彼らはイギリス・ツアーを開始します。すでに彼らの人気は、
イギリス在住のジャマイカ系黒人層を中心に白人層にまで広がりをみせ始めていました。
そして、彼らは初めてのアメリカン・ツアーに出発し、そこでブルース・スプリングスティーン、
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの前座を務めます。
1973年、彼らはイギリス・ツアーを開始します。すでに彼らの人気は、
イギリス在住のジャマイカ系黒人層を中心に白人層にまで広がりをみせ始めていました。
そして、彼らは初めてのアメリカン・ツアーに出発し、そこでブルース・スプリングスティーン、
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの前座を務めます。
この1972年という年は、レゲエの世界進出元年とも言える年でした。ジミー・クリフが主演したレゲエの伝説的映画「ハーダー・ゼイ・カム Harder They Come」が、この年に公開され、サントラ盤が世界的に大ヒットします。さらに、サイモン&ガーファンクルを解散したばかりのポール・サイモンが、ジャマイカでレゲエ・ナンバー「母と子の絆」を録音、世界中で大ヒットとなりました。この曲は白人によるレゲエ・ヒット第一号ということになります。
ザ・ウェイラーズは、イギリスに渡り、「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ I Can See Clearly Now」のヒットで有名なジョニー・ナッシュ Johnny Nashのバックとしてロンドンで録音に参加。そこで彼らはジャマイカ出身のアイランド・レーベル社長クリス・ブラックウェルと知り合い、正式に契約を交わします。
当時世界進出を目指していたアイランド・レーベルは、ウェイラーズをレゲエ・ブームの切り札とするべく社運をかけてプッシュすることになり、彼らの世界デビュー・アルバム「キャッチ・ア・ファイヤー Catch A Fire」(1972年)が発表されました。
1969年、ジャマイカの大物プロデューサー、リー・ペリーがザ・ウェイラーズのプロデュースをするようになります。彼はウェイラーズのバックにバレット兄弟(ドラムのカールトン・バレット Carlton Barrettとベース・ギターのアストン・バレット Aston Barett)を中心とするお抱えのバンド、ジ・アップセッターズ The Upsettersを抜擢し、彼らに強力なリズム隊という武器を与えました。1971年、さらにそこにタイロン・ダウニー Tyrone Downieという強力なキーボード奏者が加わり、オリジナルのウェイラーズが完成しました。
1963年彼らはジャマイカを代表するスタジオ「スタジオ・ワン」のコクソン・ドッドに認められ、スカのナンバー1バンド、スカタライツをバックにシングル「シマー・ダウン」を録音、ザ・ウェイリング・ウェイラーズとして発売、大ヒットを記録します。
その後、数人のメンバーを加えて、ザ・ソウレッツを結成しますが、結局元の3人に戻り、「ザ・ウェイラーズ」として活動して行くことになります。そしてこの頃、ボブはラスタファリニズムの長老、マーティモ・プランナーに弟子入りし、ジャマイカが生んだ偉大な思想家マーカス・ガーヴェイから始まったラスタファリニズムに入信します。そして、ザ・ウェイラーズは、ヘアー・スタイルをドレッド・ロックスにした最初のグループとなります。
ボブの父親は1955年にキングストンで死亡し、彼は母親とともにキングストンのスラム街、トレンチタウンで暮らし始めます。歌手として生活費を稼ごうと、ボブはタレント・ショーに出ますが、その頃バーニー・ウェイラー(本名ネヴィル・オライリー・リヴィングストン、1947年4月10日キングストン生まれ)と知り合います。二人は、ジョー・ヒッグスの指導のもと、コーラスの練習を始めます。(後に、ウェーラーズとして活躍することになってから、バーニーがコンサート・ツアーをボイコットした際、その穴を埋めることになったのが、彼でした)同じく学生時代に知り合ったピーター・トッシュ(ウィンストン・ハバート・マッキントッシュ、1944年10月19日ウェストモーランド生まれ)が加わり、彼らはコーラス・トリオとして活動を開始します。しかし、1962年にシングル・デビューを果たすものの、まったく売れませんでした。
ボブ・マーリー(本名ロバート・ネスタ・マーリー)は、1945年2月6日ジャマイカ北部海岸沿いの小さな村、ナイン・マイルズで生まれました。
彼の父親ノーヴァル・マーリーは、ジャマイカ駐屯のイギリス軍大尉でもちろん白人ですが、母親は地元ジャマイカの黒人でした。白人と黒人との混血であり、支配者と被支配者との間に生まれた子供という彼の境遇は、彼を苦しめたと同時に、その壁を越えさせる運命を彼に与えました。
彼がジャマイカという小さな島国を飛び出し世界を駆けめぐることになるのも、彼の生み出したレゲエが世界中へと広がって行くのも、すべてはこの彼の生い立ちから始まったと言ってよいでしょう。

ボブ・マーリー(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、本名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley)は、ジャマイカのレゲエミュージシャン。その音楽はラスタファリアニズムの思想を背景としており、彼の音楽・思想は(音楽制作者のみならず)数多くの人々に多大な影響を与えている。
愛用のギターはボディとネックに1ピースマホガニー、指板はローズウッドを使用し、ピックアップにP-90を2基搭載したギブソンのLes Paul Specialであった